1861(文久元)年シーボルトの江戸滞在
月 | 日 | 出 来 事 |
5月 | 10日 | 横浜から神奈川を経由して陸路赤羽接遇所に夕方到着 |
11日 | 赤羽接遇所員の勤務名簿を受け取る |
20日 | 善福寺にハリスを訪問 |
21日 | 善福寺にハリスを訪問 |
22日 | 正午再び善福寺にハリスを訪問し「逆さ銀杏」を見る。その後光林寺にヒュースケン、伝吉の墓参。 |
29日 | 早朝3時半高輪東禅寺襲撃の知らせがあり、5時過ぎに25人の護衛に守られて東禅寺を訪問し負傷者を治療。 帰路善福寺にハリスを訪問。接遇所も厳重警備となる |
30日 | 高輪東禅寺の英国公使館にイギリス公使オールコックを訪問 |
6月 | 3日 | 安藤対馬守屋敷にて会談。東禅寺襲撃事件の話など |
5日 | 外国奉行鳥居越前守、イギリス公使オールコックが赤羽接遇所を来訪 |
6日 | 外国奉行新見伊勢守来訪、水野筑前守らが来訪 |
15日 | 子息アレクサンダーが父シーボルトの書簡を持ち善福寺を訪問 |
17日 | 善福寺にハリスを訪問、イギリス公使との調停を斡旋 |
20日 | 外国奉行津田近江守と会談。赤羽接遇所に新たに警護所が設けられ警備が強化される |
7月 | 1日 | 冶金学の講義 |
3日 | 外国奉行野々山丹後守来訪 |
10日 | 遣欧使節団の計画案を作成 |
11日 | 子息アレクサンダー誕生日。父シーボルトはマホガニーの箱に入った2連銃を贈る |
12日 | 将軍侍医団が来訪。その中の一人、伊藤玄朴は鳴滝塾出身でシーボルトの門弟 |
13日 | 前日善福寺で暴動(発砲事件)が起こり、赤羽接遇所も厳重警備となる |
15日 | 善福寺にハリスを訪問 |
16日 | 将軍侍医戸塚静海来訪。静海は鳴滝塾出身でシーボルトの門弟。仏公使ベルクール来訪 |
22日 | 船で江戸から横浜へ出立。途中鈴ケ森で20歳の娘が放火犯として火あぶりの刑に処せられるのを
偶然見る。※この処刑は八百屋お七ではない(お七の処刑は天和3年(1683)3月29日 |
※ | ※ | 〜7/22−8/14、この間、シーボルト父子は横浜に滞在〜 |
8月 | 14日 | 朝7時、江戸へと出発 |
15日 | 江戸に帰着したことを外国奉行に知らせる。道中で家々の玄関に「月見の祭り(仲秋の名月)」
の飾り付けがあるのを見る。 |
16日 | ハリスを訪問 |
20日 | 浅草寺へ 芝田町波止場より船で浅草へ浅草寺参拝。浅草では外国掛役人が密かにハリスの警護をした |
21日 | 採鉱学の講義 |
23日 | 津和野藩主亀井隠岐守の侍医、池田多仲が来訪 |
9月 | 5日 | ハリスとクラークが来訪 |
6日 | ハリスとクラークが来訪 |
7日 | 善福寺にハリスを訪問 |
10日 | 外国奉行水野筑前守来訪。幕府が江戸退去を懇願していることを告げられる |
15日 | 冶金学講義 |
25日 | 外国奉行で遣欧使節大使の新見伊勢守、新任の外国奉行、竹本隼人正、根岸肥前守来訪 |
10月 | 11日 | 子息アレクサンダーが横浜に出発 |
14日 | 善福寺にハリスを訪問 |
15日 | 江戸を出発し横浜に向かう。 |